“ ヨ ド ケ ン ”だより (臨時号)   08年5月30日
1.最近の活動実績
●5月14日、大阪北生協主催の「八幡散策」が開催され、当  ヨドケンの伊藤代表・丹波幹事がご案内しました。
  (写真はホ-ムぺ-ジに掲載しています)
●15日、NHKテレビ鳥取放送局の「まいど!関西」に伊藤代表から、淀屋研究会の活動について報告しました。
●21日、「せんばGENKIの会」20年度総会が開催されました。  重点は①ネットワ-クの強化②23グル-プを30グル-プに  拡大③外部組織との協力関係です。ここのHPも活用できます。
●24日、倉吉の淀屋邸訪問が延期になった為、会員10人で  守口市を訪問しました。毛利家が担当した文禄堤」(淀屋は  もっと上流)を蒲田幹事から、佐太天神は毛利副代表から説明しました。(佐太天神の拝殿は、元老中の永井尚政と  淀屋4代重当により建立されました。また、石井筒・外壁は14歳重当の寄進でした。更に、2代言当の弟、道雲の三男、 乗円(石清水八幡宮の僧)による36歌仙の絵を拝見しました。
 重当は、大名米津田盛の娘を娶りましたが、米津夫人の母 は、尚政の内室です。
2.これからの予定 ・ご連絡
●御堂筋まちづくりネットワ-クの「御堂筋彫刻写真コンテスト」  が、7月まで募集されています。御堂筋で彫刻を写して応募  されませんか。
●鳥取に「美術館」と「ほたる」観賞に行きませんか。福山ヨドケン副代表が企画しました。
 ・日時 6月14-15日 ・宿泊 鹿野国民宿舎 ・費用13000円
 ・訪問 鳥取歴史博物館、県立博物館、鹿野でほたる見物
  時間あれば、札幌雪祭りに対抗する「鳥取砂丘の砂の美術館」(東南アジアの世界遺産の模型)も。 
 ■申し込みは福山氏(090-1671-1112)、ヨドケン事務局でも。
●6月28日13-15時 学習会(淀屋の系図・没収された財産)
       15-17時 幹事会
●7月以降、各市区で「淀屋の講演会」を開催します。 ご協力頂ける方は事務局までご一報を。
(土日、公共施設、無料)
●10月9・16・23日(木)14-16時 谷4の大阪府文化情報センター・  さいかくホ-ルで、
「淀屋講演会第2シリ-ズ」を開催します。
 お楽しみに。申し込みが多く、会員優先にしたいのですが---。
3. トピックス
佐藤氏の要請により「ジョアンコード」を再掲します。
○武士の姓は血縁、名は出身地を表すが言当はゲントです。
○常安の名前はジョアンからきており、ヨハネを意味します。
○バチカン文書(奉答書等)によると全国の「ジョアン」などと  秘密連絡網を構築していた。
○ベルギーのブルージュに残るブルス家は淀屋と同じ5代目で、 、闕所となったが現在でも証券や株を「ブルス」という。
 彼らは、プロテスタントでありカルビン派であったが明治に  来日した淀川河川改修の父デ・レイケも同じゲント出身の  代々カルビン派であった。これらは偶然か又は歴史のいたずらか?
○ルイス・フロイス著「日本史」によれば、淀屋の帳合米取引  は、アントウェルペン出身のパードレ「ジョアン小野原」(本名不明)  からその概要を聞かされた商人がいたとされている。
○シカゴ商品取引所のル-ツは大坂にあり、堂島米会所は「堂島穀物ギルド」 と訳されており、取引方法手法として世界で初めての穀物の先物取引(ディリバティブ)発祥の地であるとされています。
○常安の淀川改修工事や中之島開拓工事では、当時キリシタンの パードレ(宣教師)しか知らなかったクレーン始めとする  新たな土木技術などが使われ始めた。例えば、中央を盛上げる 道路の施工は、ヨーロッパの石畳の道路を模したものであるように
○言当は当時の日本での優れた経済学者です。彼は、貨幣改鋳に 反対して物価の不安定さに繋がることに反対していました。
 さらに、先物取引の原型というべき「保険」の概念をいち早く 取り入れ、米の輸送に関わるリスクをヘッジしました。
 また、文化人として小堀遠州、松花堂小乗らと親しく交流して 資金の援助もしています。
 これが江戸初期の最大のインテリと称される所以です。
○大坂の市場経済は、常安の死(1622年)とともにあらゆる商品を 取り扱う商人たちの「なにわギルド経済」への移行期に 入っていきます。その時、まさに世界史が動いた瞬間でした。

●淀屋に関する情報がありましたらご一報ください。
 現在、淀屋の関係資料を整理しています。会員の方に 各種の資料や書籍をお分けしたいと思っています。
●次回は6月25日発行予定です。記事がありましたら宜しく。

4. 連載 ①淀屋常安の業績

●なぜ淀屋の真実を大阪市民に広めるのでしょうか。
○淀屋は1557年(推定)から1622年の戦国時代から江戸初期にかけて大坂に偉大な貢献をした常安を初代としています。
○今回は、常安の業績をご紹介しましょう。
 ①常安の担当した淀川の護岸工事は難工事でしたが、蛇籠 (荒く編んだ籠の中に砕石等を詰めたもの)を使用しました。
  事業は、約5キロにわたる土手を6500人の工夫を指揮して 完成させました。また、その年に地震と大雨で一部が決壊 した折には、身代をなげうって工事をしたといわれます。
  ・昨年、宇治川下流で発見された「太閤堤」は、丁寧な工事で 目を見張るものでしたが、秀吉の指示で前田利家が担当 したようです。淀屋の関与は確認されていません。
②葦の生える湿地帯だった中之島を開拓し、造成しました。
  中之島は、後、全国の蔵屋敷が100以上も建ち、現在は、 大阪ビジネス街の中心となっています。常安は、秀忠から 功績を讃えて「常安宅地」をもらいました。常安は、後に、娘の 「きい」とここに住みました。先日、このあたりから遺品が発掘 されたようです。(現在は、中之島4丁目となっていますが、
  南側に立派な「常安橋」が現存します。)
 ③大坂は、1615年の夏の陣で大阪城が炎上し、大坂市内は 焦土となりました。常安は、大坂復興を担当した松平忠明 を助け市街構築にも貢献しました。この時、木津勘介を指示 して、死体を処理し、ねんごろに供養しました。
 ④淀屋最大の功績は淀屋橋の自宅前で開いた「淀屋の米市」  ですが、常安の先見力には目を見張るものがあります。
  常安は、1590年代に、秀吉から加賀米を大坂に回すので 取り扱うように指示されていました。常安はそれまでにも 木材と同様に戦時の米を取り扱っていたのかも知れません。
  その後、1616年には、天満の大阪城内の自宅地内で、野菜・ 果物等の「青物市場」を再開しています。
  言当によるうつぼ西の永代浜の開発と雑魚場市設立は後 ですが、徳川の時代到来とともに、米をはじめとする食の重要さとニ-ズを把握し、実行に移しているのです。

5.お願い

  隔月にヨドケン便りを発行します。
  会員の皆様へのご送付方法を教えてください。(FAX・メ-ル)
  どちらもない方は郵送させていただきます。
●「淀屋研究会」に入会ご希望の方は、下記までご連絡下さい 
 場所:大阪駅前第3ビル 22階 鳥取県関西本部内 倉吉市大阪事務所(淀屋研究会事務局)
 TEL:06-6341-0170 FAX:06-6341-3972