( 淀屋の歴史と偉業 ) |
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期 間 : 平成18年2月27日(月)〜3月3日(金) |
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場 所 : 大阪市中央区平野町1−5−7 辰野ひらのまちギャラリ− |
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展示物 |
内容・説明 @ |
資料NO |
1.淀屋とは |
数々の未知の事業に挑戦。栄華と没落・不滅の栄光の歴史 |
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淀屋の闕所を機に大坂の繁栄は終焉し、日本経済の流れを変えた。 |
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2.淀屋の歴史 |
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(1)歴代(岡本家)の当主 |
初代・常安、2代・言当、3代・箇斎、4代・重当、5代・広当 |
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(2)淀屋5代と分家 |
淀屋橋宗家、常安町・大川町・斎藤町・大豆葉町家、牧田・大坂淀屋家 |
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(3)闕所300年法要 |
1705年の闕所から300年、神応寺で法要が営まれた。 |
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@闕所300年法要 |
本堂の様子 |
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A同 |
卒塔婆に刻まれた文字 |
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B神応寺辰五郎の墓 |
墓参りの岡本家(大豆葉町家)の子孫 |
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(4)淀屋の仏壇 |
世界中の宝石が至る所にはめ込まれ、中・蘭・日の名工が製作した。 |
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@上段 |
金箔張りの背面に十字架が浮き上がっている。 |
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A内部 |
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(5)菩提寺 |
神応寺は八幡、大仙寺・願生寺・珊瑚寺は大阪にある。 |
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@大仙寺 |
宗家(淀屋橋家)の歴代の墓がある。 |
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A神応寺 |
言当・箇斎・道雲の碑と言当の妻祖桂・5代広当の墓がある。 |
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B願生寺 |
大坂淀屋(淀屋清兵衛家)の墓がある。 |
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C珊瑚寺 |
各岡本家(分家)の墓がある。 |
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D大蓮寺 |
倉吉にあり、牧田淀屋の墓がある。 |
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(6)淀屋の屋敷跡 |
淀屋橋の心斎橋筋から住友銀行付近までの2万坪といわれる。 |
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@淀屋屋敷跡の石碑 |
淀屋橋南詰めから西へ10mの木々の中に位置している。 |
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A神社(現大阪城内) |
淀屋屋敷内にあった若永神社。豊国神社境内に現存している。 |
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B若永神社の図 |
図面 |
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(7)牧田淀屋の建物模型 |
淀屋橋に再興する3年前の1760年の建屋で倉吉に現存する。 |
現物 |
(8)大阪・京都・鳥取 |
淀屋とゆかりの地・施設 |
パネル |
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3.淀屋の業績 |
大坂への貢献は数々あるが、300年前に米の先物取引を行っていた。 |
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(1)淀屋の歴史と偉業 |
淀屋の略譜と業績の一覧 |
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(2)淀屋の事業 |
淀屋は現在でいうコングリマリッドの企業であった。 |
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(3)淀屋のすごさ |
淀屋のすごさはこれだけではありません。ご指摘ください。 |
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(4)淀屋の業績例 |
常安・言当の業績は大坂の発展に偉大な足跡を残した。 |
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@文禄堤(守口) |
淀屋は3つの川の合流する神上流の難所を5kmに亘りやり遂げた。 |
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A伏見銀座跡 |
淀屋は、伏見・京都・江戸銀座で主導的地位を築いていた。 |
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B銀座役人の屋敷図 |
慶長17年の屋敷拝領図。(田谷博三氏近世銀座の研究より) |
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C青物市場跡 |
1615年頃淀屋の屋敷内で開設。由井正雪事件後この地に移った。 |
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D雑喉場魚市場跡 |
1624年言当が永代浜を開発し、うつぼ市場を設立、後統合。 |
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E常安の開拓した中之島 |
常安の卓越した土木技術で葦の砂洲を開拓。不滅の業績である。 |
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F中之島蔵屋敷 |
中之島には蔵屋敷が立ち並び、藩米・物産が集散した。(大阪歴史博物館より) |
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G常安橋 |
中之島開拓の功績により、常安町(現中之島)をもらった。 |
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H淀屋の船着場 |
淀屋橋南詰めの西側一帯は淀屋の門前であり、船舶が往来した。 |
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I淀屋の架けた淀屋橋 |
門前の米市で働く人たちのために淀屋が架けた。幕府の橋は11. |
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J淀屋米市跡の碑 |
「淀屋の米市」は、2時間の商い80万石、年400万俵動かした。 |
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K堂島に移った米市跡 |
米市は、1697年堂島に移ったが、正月4日の市は淀屋の門前で開かれた。 |
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L同 |
川岸に残る碑。上下とも。 |
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M淀屋寄進の妙心寺経蔵 |
1631年言当が寄進したが、1668年重当も輪蔵を寄進した。 |
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展示物 |
内容・説明 A |
資料NO |
(4)淀屋の業績例 |
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N倉吉稲扱千刃 |
重当は、自分の考案した稲扱千刃を堺で試作、倉吉で製造・販売した。 |
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O同 |
倉吉産の千刃は、「後家殺し」といわれ、農作業の軽減に寄与した。 |
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P困窮大名への貸付銀 |
幕府による藩のしめつけから、財政が逼迫し、米の先物取引が始まった。 |
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返済が滞り他の商人が断る中、淀屋は取り潰しの予期もあり融資した。 |
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4.池田光仲公より下賜 |
1670年、淀屋は池田公の庇護の下に、倉吉で米屋の暖簾を上げた。 |
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(1)「庇護を誓う袱紗」 |
池田公の家紋揚羽蝶が牧田淀屋の家紋をだくようにな図柄である。 |
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(2)「同 直衣 |
同(鴻鵠の系譜続より) |
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5.海外への雄飛 |
淀屋は淀を制していたが、没収された千石船は150艘にのぼる。 |
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(1)淀屋持ち船の天井 |
ある茶室の天井にある淀屋の持ち船の天井といわれる。 |
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(2)アントワ−プからの便り |
アントワ−プに「東洋の小さな島国の−−」という表現があるという。 |
略 |
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6.淀屋の貫かれた意志 |
闕所となったが、59年後、元の場所に、公式に復活し、維新前に自ら消えた。 |
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(1)貸し金請求書 |
自ら店を閉鎖する直前、貸し金を請求する文書。 |
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(2)同解読 |
番頭の牧田仁右衛門と子孫は主家の意思を牧田竹家8代を繋いだ。 |
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(3)同解説 |
閉鎖した時の当主は、牧田家・淀屋清兵衛家もともに14歳だったという。 |
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(4)倒幕に貢献した淀屋の心情 |
過去帳の余白に追記された文字はなにをいわんとするのだろうか。 |
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7.淀屋研究家 新山通江氏 |
淀屋研究会の顧問であり、本展示物の監修をしていただいた。 |
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(1)新山通江氏 |
現在、鳥取県大山町に住み、講演の都度来阪される。 |
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(2)新山先生の原稿用紙 |
真説辰五郎2巻を執筆された原稿の一部2,500枚。 |
現物 |
(3)淀屋清兵衛に捧ぐ |
新山先生の書。 |
書 |
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8.その他 |
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(1)淀屋サミット |
昨年闕所300年の5月16日、大阪駅前第三ビルで開催。 |
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(2)船場の街並み |
淀屋は、船場町人の信頼を集め、4代重当の33回忌には多数お参りした。 |
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また、それまで取り潰しのなかった大坂商人は守勢の時代に入った。 |
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(3)新聞切り抜き |
関連記事の一部です。 |
パネル |
(4)淀屋を楽しもう |
淀屋はまだまだ「謎」があります。ご一緒に調べませんか。 |
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●淀屋の財産は気の遠くなるほどでした。第4回でご紹介します。 |
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以上 |
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ご来館有難うございました。 |
次回は5月に、御堂筋で開催します。 |
(淀屋と文化人・著名人) |
また、ぜひ、お越しください。 |
●次回以降の予定および「淀屋研究会」に入会ご希望の方は下記までご連絡下さい。 |
場所:大坂駅前第3ビル 22階 鳥取県大阪事務所内 倉吉市大阪事務所(淀屋研究会事務局) |
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TEL:06-6341-0170 FAX:06-6341-3972 |